遠慮がちに開かれた医務室の扉を見遣れば、そこには栗毛色の少年がうつ向き気味に佇んでいた。 控え目に一度名を呼んだっきり黙りこくってしまった彼に苦笑いを漏らす。またいつものパターンか、と。


「今日はどうしたの、スザク?」
「…なんでも…ない」
「あ、そ」


まあ事情はいいからとりあえず座りなよ。ここに来ておいて何でもない訳ないだろうと思いながら、 卓上の書類を軽くまとめてからソファーの隣をぽんぽん叩いた。渋っていた彼も根気よく誘えば渋々ながら腰をおろした。 その後置かれたコーヒーに目をやることもなく俯いたままで。


「…、僕、」
「うん」
「また人を、殺した」
「うん」
「すごく、沢山」
「そっか」


私の淡泊な相槌を気にすることなく途切れとぎれに話す。次第に目尻に溜まっていくものを見付けて、私は手を伸ばした。


「まあ私はただの医師だし、国政にはあんまり興味ないから言えるんだろうけどさ、」


ぽすっ、といい音をたてて栗色に手を乗せる。ぴくりと反応を見せたけれど顔をあげる気配はない。


「もっと、肩の力抜けば?楽にいきなよ」


無責任な発言をした途端、彼は縋り付くようにお腹のあたりに顔を埋めてきた。不謹慎ながら可愛いとは思う。


、」
「なあに」



微かな鳴咽を交えて繰り返される私の名前。困ったなあ、またこのパターンか。苦笑いを零しながら空いていた手を背中に添える。





壊れたレコーダーのごとく延々と呼んでくるスザクにかけてやる台詞が浮かばなくて。 いつか彼の心がぽっきり折れてしまうのではないのか不安で。私は曖昧な表情でスザクが落ち着くのを待つことしか出来なかった。





再び冷静になった時、彼はまた言うのだろう。こんなようじゃ、駄目だ、と。それに対して私は今のように曖昧に微笑むに違いない。 彼に苦しんで欲しいわけではないけれど、彼の、ある意味楽観的とも取れる考え方は嫌いではなかった。
現実味のない平和を語る彼は好きだった。万が一にもスザクの理想が実現したならばそれはそれは素晴らしいことこの上ない、と。 そのスザクがラウンズに入ってから、否、ゼロを捕えてからかもしれない、皇女様の死からなのかもしれない。 ともかく、何かしらのきっかけから確実に変わってきていた。あんなに鋭い目ばかりしているスザクを知らない。知りたくもなかった。 私は異常とも取れるほど潔癖な性格の彼が、スザクが好きだったのに。あんなに冷たい視線を送る枢木郷は好きになれそうにない。 だが、時折ひどく不安定な様子ですがりついてくる彼を見る度にほっと息を吐く。まだ、枢木スザクはいきている。





もっと平和な時代に生まれていれば、彼は本当に幸せになれたのだろうに。 どうしようもない虚無感に襲われながら、私はこの現実を恨んだ。


「…すざく、」


小さく呟いた名前も、彼の呼び続ける自分の名前に掻き消されてしまった。そのうち完全に心優しき少年、枢木スザクは消えて、 ブリタニア軍人の枢木郷になってしまうのだろうか。想像して怖くなった私は再度スザク、と呟いた。 今度は届いたらしく、彼の背中とそこに乗せた私の右手がぴくりと動く。

何度だって呼んであげる、だからいつか、一度でいいから。目を見て、心から笑って、私の名前を呼んで、ねえスザク。



    深
      縹
    に
          溺
       れ
          る