「やあ、久しぶり」
「…あらお久しぶりです、アコースさん。調度1日振りかしら?」


にっこり。精一杯の笑顔を作って毒を吐く。嬉しそうに執務室の扉を開けた彼とは対称的に私のテンションは大暴落だ。 残業確実な量の書類との相乗効果で、今週の最安値を更新しそう…いや、更新真っ最中である。
そんな私に返って来たのは「そうだね」と、にこやかな一言。 この男には厭味も通じないのか。困ったものだ。 私の心境を理解して欲しいとは言わない。頼むから、少し、少しだけ空気を読んでくれ。


「今日は何しに来たの、…紅茶は出さないわよ」
「酷いなぁ」


いつも紅茶を煎れているのは僕だろう?それに、その言い方じゃ毎日僕がサボりに来ているみたいじゃないか。

ハッハッハと爽やかに笑い飛ばすコイツに無性に腹が立った。全くもって事実じゃないか。 昨日はチョコレートケーキ、一昨日はマドレーヌ、その前は確かアップルパイ。 毎日菓子を、しかも手づくりを持参して、それを理由に1時間も作業を中断させるのはサボりではないのだろうか。 そうか、私への嫌がらせか。毎回悔しいほど美味しいものを作ってくるのは料理下手への厭味か、そうか。


「…と言う訳でこれ、はい」
「また焼き菓子?だから今はそれどころじゃないって、」
「はぁ…僕の話を聞いてなかったのかい?」
「…なに」
「今は職務中だろう?話はちゃんと聞く、仕事はきちんとこなしたまえよ」


どうしよう、こいつ、ものすごくなぐりたい! いまならカッとなってやったとしても許される気がする。 武闘派ではないにしても、一端の時空管理局職員。不意打ちでなら例えアコース氏でもなんとかなる気がする。 気がするだけだけれど。
ぐるぐる考えながら表情をつくることなく彼を見遣れば、晴れやかな笑顔でファイルを突き出していた。


「だから、はい報告書」
「あ、うん………………、ヴェロッサ、」
「なんだい」
「日付が…間違って、る。一ヶ月前になってる」
「あぁ、合ってるよ」
「…は?」
「だから、先月の報告書。中々書き終わらなくてね」
「…」


メキョッと不自然な音をたてて今年何本目かわからない万年筆のペン先が曲がった。ごめんね18代目、否19代目だったかな。 どちらにせよ私は悪くない、悪いのは目の前にいる長髪野郎だ。


「……貴方、査察に行ったら二週間以内に報告が義務付けられているのはご存知よね?」
「うん。悪かったね、どうにも忙しくて」
「散々人の邪魔をしに来ておいて『忙しい』とか言うのはどの口だ」


ケーキだのクッキーだの作った時間とそれを一緒に食べた時間を合わせれば報告書なんて3日分で出来るはずだ。 …彼なら1日あればこの程度の書類、簡単に処理してしまうだろう。働け給料泥棒。

ふむ。一瞬左手を口元に当てて、さらりと言い放つ。


「この口だね」
「…殴ってもいいかい?」
「それは困るなぁ」
「私はもっと困った事態よ…」


最終的に上層部へ提出をするのはこの私だ。…わざわざ怒られに行くようなもの。正直なところ、それは是非とも遠慮したい。 だって怖いし。だって私悪くないし。ひとり叱咤されにいくなんて不公平である。


「…なら、ヴェロッサ、付き合いなさい」
「え…」
「自分で責任取れって言ってんの!私は悪くないんだから!」
「責任…」


せきにん。4文字を舌先で転がして思案していたと思えば、突然ぱああ、と効果音が付きそうな笑みを浮かべた。気味がわるい。


「わかった。僕も男だからね、責任は取るよ」
「それは人として、是非ともお願いしたいわ」
「…で、」
「なに」
「最初のデートはどこがいい?」


…。一瞬、ほんの一瞬思考が停止する。そして自分の発言が原因だと認識すると頭を抱えたくなった。 ばかだ、この男は馬鹿でしかない。今時そんなベタなのは少女漫画でだってないだろうに。 こめかみを押さえたくなるのを留め、にこりと笑ってアコースの手を引く。


「なら、まずは偉ーいオッサンたちに書類だしに行きましょうか」


そろそろ、引き出しの奥にある転属願の出番なのかもしれない。真剣にそう思った。