「ロックオン、」


渡してくるよう頼まれた書類を持って彼の元へと走る。次の作戦の参考資料だって、と言いながら手渡すと緩く微笑みながら礼を述べられた。その優しい表情に私はふと泣き出したくなって顔を歪める。泣くな、なくな。
私の視線に気付いたのか、こちらを向いた彼と目が合う。何とも言えぬ表情をして。


「…アンタもか、
「え、何が…」
「アンタは俺なんて全く見えていない、そうだろ?」

ひゅっ、と吸い込んだ息で喉が鳴った。ライルが何を諷喩して言ったのか瞬時に理解して思わず凍り付く。図星。自分でも多少は自覚していたのだから。
私より遥かに背が高く、そのうえ天井にある蛍光灯によって逆光の状況な上に俯き気味の彼の表情は読み取れない。何時もと違い、生真面目な声色で喋るものだから普段以上に彼を、ニールを思い出してしまう。
最低だ、私。
きつく噛んだ下唇から薄い鉄の味がした。


「俺にどうして欲しい?兄さんの様に振る舞って欲しいか?」
「っ、な、そんなこと…!」
「ここに居る人間は皆そうだ。俺の中に兄さんを見ようとしてる」
「…」
「なぁ 、」
「な、に」

震える声を必死に押さえ付ける。こわい、彼が何を言うのか怖い。今すぐにでも逃げ出したいくらいだったけれど、私にそんな度胸はなかった。
荒くなる呼吸を押し止めて再び彼が口を開くのを待った。少しの沈黙の後、ぽつり、呟くようにしてライルは息を漏らした。


「ここでの俺は一生兄さんに、過去の人間の影に縛られたまま…生きてかないといけないのか…?」
「………ライ、ル…っあ、」


突如手を引かれてバランスを崩したまま彼に倒れ込んだ。どうしたの、と言葉を紡ぐ前に掴まれた手首から微かな振動が伝わってくる。驚いた私は馬鹿みたいにその場に固まっていた。
手首を掴んだその手は不自然なほど冷たい。


「悪い…。今、今だけでいいから、俺を、」
「…ライル、」


空いた方の手で引き寄せられても私は抵抗出来なかった。することが、否、する理由が、なかったのかもしれない。彼は別に私だからこうしている訳ではないのだろう。それが分かったからこそ拒絶出来なかった。
何より、今そうしてしまったら彼の心が折れてしまいそうな気がして。だから私は彼の言葉を遮ってひたすらに名前を呼び、意味のない言葉を繰り返す。


「ごめん、ごめんね…」



ニールの笑顔も、声も、髪を掻き交ぜてくれた大きな手の温もりも、もう私には正確に思い出せなくなってきていた。ライルの腕の中はあたたかくて、それはニールに似た彼だからなのか、それともライル自身だからなのか。 包みこんでくれる穏やかな熱に、私は混乱した頭を整理することを放棄した。
ふたりへの罪の意識からか鳴咽交じりの謝罪を漏らしたけれど、彼にしがみついたその手を離そうとは思わなかった。


なにより私もまた、温もりに餓えていたのだ。





幽玄の誘い