「やあ。パンドラに入る気にはなったかい?」
「ひょう…ぶ、さん」


四度目ましての彼は、くすりと妖艶に微笑った。後々に年齢を知った時は心底驚いたものだ。私の倍どころじゃない、だなんて。
何よりもその濃藍の瞳が鈍く綺麗に輝いていて。老いを迎えた人間のものとはとても思えなかった。凶悪犯、だなんて嘘なんじゃないかと今でも考える。 彼の瞳は悪意に満ちたものではなく、ただ純粋に何かを求めているように私の目には映ったのだ。
それでも、彼はパンドラのリーダーでバベルの敵。何度も何度も繰り返し言われた言葉を反芻する。そう、この兵部京介は我らがバベルの敵なのだ。


「何度も言いますが、それはお断りしま、」
「いいや」
「……」
「来るよ、君は。必ず僕の手を取る」


根拠の全く解らない、揺るぎ無い自信を見せられる。強制するでもなく、ただ何度も何度も勧誘をしてくる彼を理解しかねる。 特に、薫ちゃん達ならともかく、レベル5のエスパーでしかない私をここまで熱心に引き入れようとするその意図が全くもって見えてこない。
どうして、私なの?


「それは、君がこちらに来てくれたら説明してあげるよ」


…こうやって、ひとに心の内を読まれて会話をしないで頂きたい。いきなりこちらの考えに応えられるのは未だに慣れないのだ。
それに、こうも見つめられるとどうにも反応に困る。


「これは失礼」
「いや、だからですね…」


この人に何を言っても無駄なのか。仕事帰りで疲れている頭が痛みだしそうな気がして、軽くこめかみを抑えた。


「そう、だから諦めてこっちへ来るといい」


す、と頬を兵部の指先が辿った。慣れない感覚にびくりと肩を震わせると、満足気にくすりと喉を鳴らした。


「君の能力を買って勧誘してる訳じゃ無い。ただ、パンドラには、僕には…君が必要なんだよ」
「どう…、して」
「言っただろう?それは秘密だ、って」


悪戯っぽく、人差し指を私の唇に宛がう。くす、また笑みを零してからその手を後頭部にまわした。そのまま引き寄せられる身体。
ろくな抵抗もせずにいたので、額を学生服の釦に激突させる羽目になった。地味に痛い。痛いじゃないですか、と抗議の声をあげようと口を開きかけた。 残念なことに、先に口を開いた彼によってそれは叶わぬ夢となったのだけれど。



「…好きだよ、


何の脈絡もなく、ただ甘くあまく、零の距離から吹き込まれた台詞に、私はあっさりと堕ちていった。
必死に気付かないようにしていた何かから、逃げられない。覗き込んできたその藍に、飲み込まれる。 催眠にかかった時のようにふわふわ、地に足の着かないみたいな感覚。
何かが麻痺したそんな状態のまま私は彼をぼんやり見つめた。おちはじめればもう、手をとるのは時間の問題。そう気付いている自分に、私に、気付かない振りを、した。






空に墜落