「うー…あー…」


ぽきり。強く握り直したシャープペンシルから芯が飛んでいく。ほとんど埋まっていない、真っ白なテキストに黒い染みがついた。


「…だぁぁぁあ!わかんない!はやて、アタシもう無理!」
「まだ範囲の1割しか終わってないやん」
「う…、」


どこがわからへんのー?そう言いつつ、微かに眉を寄せてはやてが私の手元を覗き込む。いくら嫌そうな表情を作っていても緩んだ口元で台なしだ。アタシが解けない事にそんな嬉しそうにされると複雑な気持ちになる。
それに、顔、かお近い、ちかいよはやて。


「あー…この問題が丸々わかんない」
「これはやなぁ、えっと、まずこれを微分するとこうなるやろ、それで…えーとグラフ書くと解りやすいんやけど、」


睫毛長いなあ、とか。顔に掛かる髪さらさらだなあ、とか。ぼんやり考えながら手元を睨むはやてを見つめる。


「ヴィータ?聞いとる?」


だから顔近いってばはやて。アタシの心の叫びは届くはずもなく、驚きのあまり固まることしか出来ない。


「え、あ…うん、聞いてる」
「じゃあここの解は?」
「えと…さん?」
「それは一つ前のや。やっぱり聞いてへんやん」
「ごめん…」
「なんか集中するのに必要やなー」


集中出来ない理由の大半はあんただよ。ごめんの三文字に思いを乗せて再度謝罪をする。アタシの台詞など聞こえていないかのようにはやてはひたすらに首を捻っていたけれど。


「ほんなら…、」
「え?」
「テスト頑張ったらいっぱいちゅーしてもええよ」
「は?」
「ご褒美あると頑張れるやろ?」


クスリ、艶のある意味深な笑みを浮かべた。どきどき。はやい心臓が煩くて仕方ない。まるでアタシが、その、き、キスしたがってるみたいな言い方やめろよな! と叫びたいのは山々なのに、どうしてか口にすることは出来なかった。はやての軽口はどこまでが本気でどこからが冗談なのかがさっぱりわからない。瞳をきらきら輝かせて微笑まれるとアタシは押し黙ってしまう、いつも。 そしてそのままはやての思うがままに事が運んでしまうのだ。今日ばっかりはそうさせてやるものか、勢いよく顔を上げ、た、ら。



「だ、だれが……、ん、」




「ごちそーさん」語尾にハートマークが付きそうなテンションで告げられるまで何が起きたのかわからなかった。自分の指で光る唇をなぞるその艶かしい様子に顔がほてっていくのがはっきりとわかる。


「今日はここまで。たった5日だけや、テスト頑張れるやろ?」


こっくり。はやての勢いに押されて頷いてしまう。満足そうに口元を緩めると「ほな、続きやろか」と何事もなかったように再び赤ペンを手に取った。一方アタシはさっき触れた唇が熱くてそれどころじゃない。 数式なんて全くと言って頭に入ってこなかった。頬が赤いのは西日のせいなんだ、と言い訳を心のなかで、日が完全に落ちるまで幾度となく唱える。




「 すき、」



はやてには聞こえないであろうくらい小さくちいさくぶつやく。恐る恐る顔を上げると、薄く笑ったはやての顔。照れ隠しにアタシも笑い返すと、真っ白なノートに手を滑らせた。





小声で好きと囁いて 







  title:207βさまからお借りしました。